虹とものブログ

カトリックとLGBTIQの交差点  虹色のともしび mariaLGBTQ@gmail.com

孤独感とカラダの痛み

ツイッターで、

「私が君に嫌われようとも、好きな人に嫌われたらそれはショックだし嫌だが、君にそれほどの魅力はないし、だから僕はなんとも思わないし感じないのだが」

というツイートを見かけました。


じつは、孤独感を感じる時の脳の部位と、体の痛みを感じる時の脳の部位は同じところだそうです。

しかも厄介なことに

孤独感=社会的拒絶感は、

相手がコンピュータプログラムに過ぎないと分かっていても感じ(キャッチボールのゲームで途中から自分にだけボールが来ないといったような単純ゲーム)、

また反社会的で、いみ嫌われている団体(例えばkkk)に拒絶されても、脳はカラダの痛みと同じように感じてしまうんだそうです。


「孤独感の痛みは、とても破壊的な心の痛手だ。それは生理的なほころびも行動のほころびももたらし、社会的なつながりへの満たされない欲求を慢性的な異常に変えうる。」

(孤独の科学 ジョン・T・カシオポ&ウィリアム・パトリック)


孤独感は、喫煙や肥満と同じように健康上のリスクになり得るんだそうです。


会社の飲み会で、まわりがホモネタで盛り上がってるとき。

カムアウトしてない友だちに「どうして付き合ってる人いるのに結婚しないの?」と言われた時。

私は距離を感じ、拒絶感を感じます。社会とわたしの間に見えない壁のようなものがあるような気がします。


教会でカムアウトしたとき、「大事なことを告白してくれてありがとう。でも、ほかの人には言わない方がいいわ」と親切に言われた時。


敬虔なクリスチャンの友人にカムアウトしたら、お見合いをセッティングされたとき。


日本は少子化なんだけど!と結婚しないことを、電車内でさほど親しくない年上男性に説教されたとき。


こんなことは昔からとても日常的にあるので、今さらなんとも思わないし傷つかない、と思いたいところだけど。


でも本当は脳はしっかり痛みを感じている。日常的で慢性的過ぎて気づかなかったけど、実はダメージを蓄積し続けている。。としたら恐ろしいことではないでしょうか。


分かち合いの会は、自分がセクシュアル・マイノリティであることを受け止めて認めてくれる仲間と、神父さんで作る「あたたかい場所」が、私たちにはどうしても必要なんではないかと思って作りました。

最初に神父さんにお願いしに行った時は、こんな風にうまく説明できなかったような気がしますが。

それなのに良く承諾してくれたなあ、と今さらながら思います。


壁を感じない、自分が自分で居られる場所、安心する場所。

そんなところで落ち着いて黙想したり、神父さんのお話を聞いたり、仲間の話に耳を傾けたり、自分の思うところを話したり。。そういうひとときを作れる場になればいいなといつも思っています。


それがセクシュアル・マイノリティゆえの蓄積された孤独感を癒すひとつの有効な方法になれたらいいなと願いつつ。。


ちい